【1931(昭和06)年の神之池の湖盆形態】
昭和時代初期の、茨城県神之池の陸水学的研究には、
(1)宮地傳三郎(1926):「常陸国神の池湖盆形態」地球14,1,1-5pp
(2)川村多実二(1931):「杭州西湖及び常陸神の池の湖底沈積物に就いて(予報)」陸水学雑誌1,3-10pp
(3)根来健一郎(1935):「茨城県神ノ池に於ける Anabaenopsis Raciborskii の夥しい繁殖に就て」
陸水学雑誌5巻4号,148-162pp、 等がある。
宮地博士は、顕微鏡的微小植物、主として二、三 底棲性藻類並びにプランクトンの新鮮な遺骸の堆積を指すエブヤ(Afja 又は Avja)の、
本邦湖沼における最も著しい例に常陸国鹿島の神の池を挙げている(1・※01)。
川村博士は、神の池の湖底に暗青緑色顆粒状の沈殿物が厚く沈積し、その主部が藍藻の Aphanothece であること、及び分布を報告している(2・※01・fig.01)。
根来博士は、神ノ池の藍藻は、 Anabaenopsis Raciborskii であると報告している(3)。
吉村博士は、『湖沼学』(初版は1937年)「湖盆の形態」澪の部で、「神ノ池の澪は特殊なもので、宮地博士の研究では湖底は藍藻 Aphanothece の流動状の
堆積物に被はれてゐるが、湖流の強い部分には堆積しない為に澪になってゐるものと思はれる。澪内の湖底は砂質である(宮地1930、川村1931)(第41図)。」
と述べ(※03・45pp)、第41図に川村図(fig.01と同じ原図)を掲載している。
神之池は、鹿島臨海工業地帯開発に伴ない、「1965年、厚生省が神の池を水郷国立公園から除外し、1967年4月に、
神の池公有水面埋立事業が認可され、埋立が進行することになった。」(※02、154pp)。
蛇足ながら、神之池は、厚生省により、1959年03月03日、水郷国定公園に指定され、
1969年02月01日、水郷筑波国定公園に再指定されている経緯から、上記は正しくは「神の池を水郷筑波国定公園から除外し」
と記すべきである。
本稿は、川村図中の現・神之池位置を青色着色改変し、その昔を偲びたい釣り人の参考用に掲載する(fig.01)。
【参考文献(よしさん架蔵書)】
(※01)上野益三(1935):『陸水生物学概論』実験生物学集成7,2+4+276pp,養賢堂(東京),3圓30銭,
(※02)高校地理教育談話会(1975):「表見返し」『開発と地域の変貌-鹿島臨海工業地帯-』v+219pp,大明堂(東京),\1900
(※03)吉村信吉(1976):「湖盆の形態」『湖沼学』45pp,増補版,生産技術センター(東京),\5500
(※04)よしさん(1996〜2012):「神之池」『ザ・レイクチャンプ』http://lake-champ.com
【注】
『陸水生物学概論』(※01)から本稿への、写真複製・有線送信・本HP掲載公表(fig.01)は、
「ベルヌ条約」及び「万国著作権条約」並びに国内法「著作権法」を踏まえた合法行為です
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