いささか旧聞で恐縮だが、1994(平成06)年11月11日付、網走水試「試験研究は今 NO.205 大型ワカサギはどこから来た?」(注01)に
興味深い事実が掲載されていた。
報文の主旨は、
網走湖において、1993年度だけ大型ワカサギの漁獲が多かった原因を追跡究明するものである。
鳥澤氏の解析によれば、1992年生まれのワカサギは、
1992(平成04)年09月11日から12日にかけて、北海道東方を通過した台風17号の
豪雨・出水により、網走湖から海に押し流されたと推定(網走湖の水位は2m上昇したとの由)。
その後のワカサギ漁獲量の推移から、1993年度だけ大型ワカサギの漁獲が多かった原因を
「漁獲直前のワカサギが台風によって大量に海に押し流されてしまった」、その後
「海からの遡上が始まると(網走湖内の)漁況は好転し、大型ワカサギの大量漁獲を記録した」と結論している。
興味深かったのは、ワカサギ成魚の大部分が海に押し流されてしまったという現象と事実である。
本稿は、この網走湖の事例からワカサギ成魚の(最大)遊泳力を考察するものであり、
別報「ワカサギ資源管理の楽しみ方(春から夏へ)」(注02)で発表した亀山湖におけるワカサギ仔魚の遊泳力推定に
事例を追加し、ワカサギの遊泳力を明らかにしようとするものである。
先ず、解を導き出すための方程式探索と、より簡単な方程式への変換を試みる。
「豪雨・出水により、網走湖から海に押し流された」を言いかえ、
「ワカサギ成魚の(最大)遊泳力が、豪雨・出水の流速に負けた」と考えてみる。
「押し流された」事実から、どの程度の流速に耐えられなかったのか、
ワカサギ成魚の遊泳力の限界値、あるいは最大値のごときものを追求したい。
流速を検討するため、網走湖の湖床断面図を作成する。
手元の資料「水産調査報告」(注03)
に添付された「第2図:網走湖等深線図」を原図とし、最深部58尺を含む、湖面の断面箇所を検討する。
その条件は、流入部から流出部へ向かうであろう流れを横断する箇所であり、ワカサギの遊泳力に有利となるよう
断面積の大きくなる箇所とする。
なぜなら、断面積の小さい箇所を選定すれば、一定水量下の流速がより速く計算され、ワカサギが「押し流される」方向
の結論に向かうのは明白だからである。
fig 01に網走湖全体図を示す。
in 01は主たる流入河川の網走川、in 02は流入河川のトマップ川、in 03は流入河川の女満別川、
out 01は唯一の流出河川・網走川である。
上記条件から、最深部58尺を含み、女満別川河口とリヤウシ湖を結ぶ、断面Aを候補とし、
fig 02に網走湖断面図を示す。
湖盆形状をひと目で把握できるよう、縦横のスケールを変え、深さ方向を強調した作図である点に留意願いたい。
また、後述する理由により、水面から水深6.06mまでをZone:aとし、それ以深をZone:bと区別した。
縦軸の1〜6、横軸のA〜Mの各グリッドについて(尺を30.30cmで換算し)断面積を求め集計した結果は、
全体で49,127.25m2(Zone:a 22,573.50m2、Zone:b 26,553.75m2)であった(table 01)。
次に、流速を算出するための、もうひとつの変数、流量を検討する。
1992(平成04)年09月11日から12日にかけての豪雨・出水が、網走湖に流入したものとみなし、
「流域面積内の降雨量が網走湖に流入した」と考えてみる。
その際、本来は考慮されるべき地下浸透量や蒸発量は、無視する。
網走湖の流域面積は、資料により若干相違している。
例えば、前出「水産調査報告」(注03)では、158,491町歩(町歩を0.009917で換算し)1,571.75km2であり、
「北海道の湖沼」(注04)83網走湖(399ページ)によれば、1,258.66km2であり、
国土交通省(注05)によれば、1,380.00km2とされる。
網走市教育委員会が「網走川歴史紀行」(注06)13ページで取り上げている流域面積も国土交通省に準じているから、
本稿検討には、国土交通省発表の、1,380.00km2を用いることとする。
さらに、肝心の降雨量を調べてみる。
「気象庁HP昨日までのデータ(統計値)」(注07)による、網走気象台における
1992(平成04)年09月11日から12日にかけての降雨量と台風接近による気圧変動のようすをfig 03に示す。
fig 03から、
時間降雨量8mmは、概ね09月11日11:00から12日01:00まで連続し、
とりわけ09月11日13:00から24:00までの11時間は、時間降雨量12mm前後が連続していた
ことが読み取れる。
1mmの降雨量は1m2あたり1リットルに相当し、1km2あたりなら1,000,000リットル=つまり
1,000m3である。
そこで試算すれば、1時間降雨量(R)8mmが、流域面積1,380.00km2に均等に降るということは、
全降雨量(Q)は、8,000m3×1,380.00km2=11,040,000m3/h(3,066.66m3/s)である。
同様に1時間降雨量12mmなら、
全降雨量(Q)は、12,000m3×1,380.00km2=16,560,000m3/h(4,600.00m3/s)となる。
従って、
1時間降雨量8mmが、網走湖の断面図箇所を流れるケースの流速は、
3,066.66m3/49,127.25m2=0.0624m/s=6.24cm/sであり、
1時間降雨量12mmが、網走湖の断面図箇所を流れるケースの流速は、
4,600.00m3/49,127.25m2=0.0936m/s=9.36cm/sとなる。
しかし、この試算結果6〜9cm/s程度の流速が、11時間連続しても、
「網走湖から海に押し流された」
「ワカサギ成魚の(最大)遊泳力が、豪雨・出水の流速に負けた」とは、考えにくい。
さらに、時間降雨量が30mm・40mm・50mmもあれば文句なしに「豪雨」であろうが、
8mm〜12mmを指して、「豪雨」というものだろうか、と疑問は続く。
ここでもう一度、網走湖の歴史を見ると、
1930(昭和05)年の「水産調査報告」(注03)に、
「湖面ハ海面上約2尺ニシテ(中略)網走河水ハ逆流シテ鹹水ヲ湖ニ運ブコトアリ」
「(湖底に沈積した海産プランクトン殻骸から)海水ノ本湖ニ流入セルコトヲ如実ニ示スモノナリ」と見える。
1990(平成02)年の「北海道の湖沼」(注04)では、
「海水が進入している5〜6m以深は溶存酸素はなく、栄養塩が高濃度で貯留している」とし、
海水侵入の経過を「1920(大正09年)代以前は淡水湖と言われていたが、徐々に海水が湖内に貯留
するようになり、1970(昭和45年)代には水深10m程度、1984年(59年)頃からは
5−6m付近まで上昇してきている。」と詳述している。
1995(平成07)年の「網走川歴史紀行」(注06)では、
「水深16mの湖のうち湖面から9mのところまで無酸素の比重の重い塩水の停滞層ができて、
魚族は酸素を求めて湖面近くへ回遊の道をせばめられている状態が判明した。(163ページ昭和39年新聞記事引用部分)」
と、水質的な説明がある。
網走湖は1926(大正15)年の調査では淡水湖であったが、1930(昭和05)年には湖底に海水が侵入し、
以降は汽水湖となり、湖底に貯留される海水層は増大・上昇していたのである。
水質的に、溶存酸素8〜13mg/l、塩素イオン濃度500〜600mg/l、ゾーンを淡水魚生息域とし、
溶存酸素0.0mg/l、塩素イオン濃度5,000〜12,000mg/l、硫化水素100mg/l、ゾーンを魚類生息不適域とすれば、
網走湖の水深5〜6m以深は、魚類生息不適域といえる(先に見た、fig 02・網走湖断面図のZone:b)。
また比重的にも、流入水(淡水)は軽く、下層の塩水の上を通過する可能性が高いことから、2層構造の網走湖と推定できる。
地形的には深浅の変化ある網走湖だが、生息する淡水魚からながめれば、最深部を持たないフラットでシャローな諏訪湖のごとき湖であろう。
今度は、fig 02・網走湖断面図のZone:aを用いて、改めて試算してみよう。
1時間降雨量8mmが、網走湖の断面図箇所を流れるケースの流速は、
3,066.66m3/22,573.50m2=0.1358m/s=13.58cm/sであり、
1時間降雨量12mmが、網走湖の断面図箇所を流れるケースの流速は、
4,600.00m3/22,573.50m2=0.2037m/s=20.37cm/sとなる。
上記のように改めて試算した結果、13〜20cm/s程度の流速が11時間連続したことは、ほぼ確かなことと考えられる。
が、それでも、
「網走湖から海に押し流された」
「ワカサギ成魚の(最大)遊泳力が、豪雨・出水の流速に負けた」とは、納得しがたい。
用いた断面積数値の前提水深6.06mは、通常時における理論的境界面で、流入水量増加時には下層の
無酸素塩水の巻き上げ・混合が予測される。
理論的境界面のすぐ上には、溶存酸素3.0mg/l以下の(魚のすめない)ゾーンが形成される可能性を考慮すると、
流入水(淡水)が自由に流下できる水深は、6.06mより少なくなろう。
ひとつの仮説として、その水深が3.03mであれば、網走湖の断面図箇所を流れるケースの流速は、
26〜40cm/s程度となり、「網走湖から海に押し流された」という語感に近づくのではあるまいか。
この検討から、ワカサギ成魚の(最大)遊泳力は、13〜20cm/s程度を充分に上回り、
26〜40cm/s程度ではなかろうか、との回答が生まれた。
ただし本稿は、よしさんを含む人間のエゴで、流体力学的検討に主眼を置いており、生物の本能的反応は無視されている。
ワカサギが「台風による豪雨・出水を予知し」「自らの判断で網走湖から海へ一旦下った」という可能性さえ、
完全否定できないのである。
最後に、1992(平成04)年09月11日から12日にかけての連続降雨量を再検討する。
11日02:00の降り始めから、12日06:00の降り終わりまでの合計降雨量は187mmであった(注07)。
一方、1971年から2000年にいたる30年間の、網走地方年間降雨量は801.9mmである(注07)。
1年間に降る雨の23.3%が、29時間で降ったとなれば、なるほど「豪雨」に相違ない。
網走水試の名誉のために、記載しておこう。
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