【概要】
雄蛇ケ池(千葉県東金市)は、1614(慶長19)年に完成した、大規模な灌漑用溜池である(※01)。
雄蛇ケ池で、繁茂した水生植物の除去を目的とし、2006年早春に、草食魚ソウギョが放流された。
本稿は、はじめに水生植物の激減経緯をまとめて示し、次に本題のソウギョがクヌギを食べている観察事例を
紹介し、さらに古典籍を引いて、クヌギとソウギョと人間とのかかわりを探った上で、
最後に考察を加えることとする。
fig.01 photo A 雄蛇ケ池のソウギョ(全長80cm 2008年10月21日キャッチ&リリース)
Thanks photo A, Mr.Basser Tack, yoshisan.
【01 雄蛇ケ池における水生植物の激減経緯】
ソウギョ放流以降の雄蛇ケ池における水生植物の激減経緯を、種別に時系列で示す(table.01)。
2006年02月 |
ソウギョ放流(全長30cm×300尾)(※02) |
2007年05月31日 |
アシ原縮小と一部消失(※03) |
2007年春〜初夏 |
オオカナダモ個体数減少と成長遅れ |
2007年夏〜秋 |
オオカナダモ壊滅的減少とハス葉にソウギョの噛み跡散見 |
2007年秋季 |
水生植物帯の約70%程度が消滅 |
2008年03月26日 |
ヒシ全面消失 |
2008年06月19日 |
ハス大幅衰退(※04) |
2009年09月17日 |
沈水性多年草・挺水植物・全面消失(水中に何もなし) |
table.01「ソウギョ放流以降の雄蛇ケ池における水生植物の激減経緯」
「2006年02月、雄蛇ケ池に再びソウギョが放流され、2007年に水生植物の減少が顕著になり」、
2007年秋季までに、水生植物帯の約70%程度が消滅し、2009年09月には水中に植物が何もない
状態に至り、生態系に最大級の影響を与えた。
水生植物はソウギョに食害され、水中に排出されたソウギョの糞塊は微生物による分解変質を経て、
植物プランクトンに利用されやすい中間体となり、被植面積縮小による高水温と底泥巻上げを併せ、
ミクロキスティス・アナベナ・オシラトリア等の藍藻類大繁殖を助長し、重度で複合したアオコ現象を
毎年反復し招来させていることが、明らかになった(※05)。
【02 ソウギョがクヌギを食べている観察事例】
雄蛇ケ池を釣りと自然観察のホームグランドとし、永年にわたり観察を続けている、つかじー氏(ハンドルネーム)
より、同氏主宰ブログ記事の一部転載・写真借用につき、快諾を得たので、先ず原文(の一部)を紹介しよう。
今日は驚いた事がひとつ。
下の写真は小谷津の奥(fig.02 photo,B)ですが、バスいるかな〜と思って写真に写っている木のまわりを覗いてびっくり。
メーター級のソウギョがウヨウヨ。この場所にたくさんのソウギョが集まっているのを見たのは初めてでした。
なんで…?と思ってしばらくそっと様子を見ていると、時々ソウギョが水面に顔を出して
でっかい口を開けてパクパクと何かを食べているんです…
食べていたのはこれでした。木から落ちてくる花です(fig.03 photo,C)。
風が強かったのでこの花がぱらぱら落ちてくるたび、ソウギョがこぞって水面をパクパクとやっていたわけ。
まっ昼間からこんな食べごたえのなさそうなものを群れて競って食べているぐらいですから、
食べるものに困っているのでしょう。
池の中の水生植物をほぼ食い尽くしてしまった結果ですが、しかし、飢えているソウギョもある意味で被害者と言えます。
【原記事はこちらです 雄蛇ヶ池の話 〜蛇の道は蛇〜 By つかじー】
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fig.02 小谷津の奥 fig.03 クヌギの雄花序 fig.04 5月02日のソウギョ
Thanks photo B-D, Mr.Tsukaji, yoshisan.
★観察日:2011年04月28日午後
★天 候:○
★水 位:40cm減水
★気 温:24.0℃
★水 温:18〜19.0℃
★風 :01:00-15:00 6.4-10.5m/s 南〜南西 (at CHIBA)
「小谷津の奥」は、クヌギの根元に、池の一部が入組んで浅く、その上空はクヌギの樹冠に覆われている(fig.05)。
そこに大型のソウギョが群れを成し待ち構え、強風で落下してくる風媒花たるクヌギの雄花序を、水面で
貪り喰っている珍しい事例である。
さらに、2011年05月02日は、雄蛇ケ池の底泥の中を漁っているソウギョが観察されている(fig.04 photo,D)。
fig.05 小谷津の奥(2008年03月26日撮影)
ソウギョ関連文献資料を探求の諸兄用の参考に、水産試験場や養魚場ではなく、自然状態で無給餌の灌漑用溜池における
ソウギョの成長実績「雄蛇ケ池におけるソウギョ成長速度」を、以下に挙げておく(table.02)。
2006年02月 |
全長 30cm |
2008年10月21日 |
全長 80cm(fig.01) |
2011年04月28日 |
全長 100cm以上 |
table.02 「雄蛇ケ池におけるソウギョ成長速度」
【03 古典籍に見るクヌギとソウギョ】
クヌギは、ブナ科の落葉高木で日本における分布は、本州(岩手県〜山形県以南)〜沖縄県とされる(※06)。
広辞苑では、「くぬぎ 【木編+樂・椚・木編+象・木編+歴】ブナ科の落葉喬木。山地に自生し、
特に武蔵野の雑木林の主要樹種をなす。高さ約10メートル。樹皮は暗褐色で深く縦裂。葉は長楕円形で、
基部は細く鋸歯を有し、栗の葉に似る。有柄互生。雌雄同株。初夏、葉の間に黄褐色の花を穂状につける。
果実は[おかめどんぐり]と名づけ、大きく、球形でイガを具える。材は薪炭に用い、木炭材としては最高の品質。
樹皮は染料・薬用に供する。古名、つるばみ。」とある(※07)。
千葉県では、鎌ケ谷市域の新京成電鉄の駅に「くぬぎ山」(椚山)があり親しまれている。
「昔は山には大きく育てて材木にする杉や檜を植えて、田んぼや畑に近い林にはクヌギやナラを植えたんです。
あまり大きくしないで八年とか十年おきに伐っては、炭や薪にしていたものです。」
「今では印旛郡で炭を焼いているのは、私のとこも入れて五軒そこそこですが、昔は佐倉からこのあたり一帯はなかなか
炭焼きがさかんで、佐倉炭として、江戸、東京へさかんに出荷されていたもんです。」と、印旛郡八街町用草の赤地虎雄
さんは「名産、佐倉炭を焼き続ける」で語っている(※17)。
反面、君津市域のように、本来自然分布がなく、人為的分布と見られている地域もある(※08)。
クヌギは、やや湿った場所を好むようである。
そこで先ず日本におけるクヌギの古い記録の幾つかを、架蔵書に探すと、次のようであった。
fig.06 クヌギ(四街道市)
☆
1775(安永乙未04)年正月刊記の、『物類称呼』(※09・※10)の、
巻三「■(木編+象)實 どんぐり」に、「信州にて ぢだんぐりと云 又どんぐりの蔕(へた)を江戸にて よめの
ごきといふ 伊勢にて こめのごきといふ 越後にて ならがまと云 上野にて よめのごうしと云 今按に、[はゝそ]と云
[つるばみ]といふは古名なり 今 くぬき又 こなら又 いしならなどいふ 西国にては ならこうといふ 東国にて、
こならと云 越前にて、ほうさといふ、どんぐりは則くぬきの實なり 池田炭は此木をもつてやく 摂州一倉といふ所
にてやくといへとも池田炭と称す」と見える(※09 八九pp)。(※10では、104pp)。
☆☆
1713(正徳癸巳03)年後序・1715(正徳乙未05)年秋月追加の、『和漢三才図会』(※11)の、
第八十七 山果類どんぐり・くぬき(漢字は省略)に、「俗ニ云フ止牟久利 其木ヲ久奴岐ト曰ク 日本紀ハ 歴木ノ字ヲ用フ」
「和名抄ニ擧樹釣樟似(ヲモッテ) 久奴木ト訓ズルハ 並誤也」(中略)
赤龍皮 「クヌキ(漢字は省略)ノ皮 煎服スレバ虫及洩ヲ除キ 赤ク白キラツ腸風下血ヲ止ム 煎ノ湯ニ悪■(病ダレ+倉)ヲ洗フ」と見える(fig.07)。
寺島良安は『和漢三才図会』で、源 順が『倭名類聚鈔』で擧樹・釣樟を久奴木(クヌギ=ブナ科)と読ませ
ているのは誤り(本意はケヤキ=欅=ニレ科)であると指摘している。
☆☆☆
927(延長丁亥05)年に成立したとされる、『倭名類聚鈔』(※12)の、木ノ類第二百四十八に、「釣樟(クヌキ) 本草ニ云
釣樟一名ハ鳥樟 音章和名久沼木」と見え(二十巻二十七丁裏)、
同「擧樹(クヌキ) 本草ニ云擧樹ハ和名久沼木 日本紀私ノ記ニ云歴木」と見える(二十巻三十丁表)。
☆☆☆☆
『倭名類聚鈔』(※12)より古く、892(寛平壬子04)〜927(延長丁亥05)年の間に成立したとされる、
『本草和名』(※13)の、第十四巻 木下四十五種に、「擧樹皮 和名之良久奴岐、一名奈久美奴岐」他が見える。
森枳園は頭註に朱で「按医心方作奈美久奴岐当従改正」と書入れ、「奈久美奴岐」が「奈美久奴岐」であると、S型入替え記号で示している。
☆☆☆☆☆
さらに、中国大陸におけるクヌギの古い記録を、架蔵書に探すと、次のようであった。
1578(万暦06)年に成立したとされる、
『本草綱目』(※14)の、木部第三十四巻木之一 香木類に、「釣樟(シラクヌキ)別録下品」があり、
釈名に「鳥樟(後略)」と見える。
しかし、釣樟に該当する和名は不詳で、樟の和名はクスノキであろうとする近年の別説もある。
赤龍皮はクヌギだけではなく、コナラから造る説もあり、赤龍皮を用いた血止め薬については、書架の『衆方規矩』(※15)の血症門を調べた限り
記載は見えず、さらなる薬学的追跡は本稿の趣旨ではないため後日に譲りたい。
ともあれ、これらの記録から、クヌギ(及びケヤキ=欅)は日本にも中国大陸にも、古くから自然分布していたと考えられる。
fig.07 クヌギ(『和漢三才図会』)
一方、ソウギョについても、古文献を1点挙げておく。
前述した『本草綱目』を、日本語に訳し、注を書入れた『頭註国訳本草綱目』(fig.08・※16)の、■(魚編に完)魚(音はクワン)
の項、釈名に、「草魚 時珍曰く、■(魚編に完)はまた混(コン)と発音する。郭璞は■(魚編に軍・コン)と書いた。その性の舒緩なものだから
■(魚編に完)といひクワンといふのである。俗に草魚と呼ぶは、この魚が草を食ふからである。
江ビン地方のいけす業者は草でこの魚を飼って置く。」とあり、集解に「(中略)
時珍曰く、郭璞が[■(魚編に軍・コン)子は鱒に似て大きい]といったのはこの魚である。
その形は長くして身が円く、肉厚くしてあらい。状態が青魚に類するもので、青■(魚編に完)、白■(魚編に完)の
二種類があり、白いものが味が勝れてゐるので、商人はそれを多くイフにする。(後略)」と見える。
『頭註国訳本草綱目』(※14)の第十冊(鱗部)・第十一冊(介部禽部)等の考定をされた木村 重博士の頭註に
「木村(重)曰ク、■(魚編に完)魚ハ鯉ニ似タル魚ナレドモ鬚ナシ、支那本土一般ニ草魚(ツアオ ユー)ト称ス、
台湾ニテハサウヒート発音ス。成長早ク、大ナルハ五尺ニ達ス、重要食用魚ナリ。
日本本土ニ産セザルモ、満州、シベリヤ方面マデ分布スル淡水魚ナリ。草ヲ食スルヨリ草魚ト呼ブ。一属一種。」とある。
「イフ」には、「イフトハ シホヅケ魚ナリ」と見え、明の時代以前より、ソウギョは食材として塩漬けで流通していた歴史が解かる。
fig.08 ソウギョ(『頭註国訳本草綱目』)
【04 考察】
雄蛇ケ池という閉鎖水体に放たれたソウギョ(中国原産)は、繁茂し被植面積の大分を占めていた、オオカナダモを喰い、
ヒシモを喰い、ヨシを喰い、ハスを喰い(その間、糞塊を排出し、藍藻類の異常増殖を促し、アオコ現象を発生させつつ)、水生植物は
ほとんど壊滅状態に追いやられた(前述の第1項)。
反対に、ソウギョの視点から見ると、雄蛇ケ池に餌料がなくなり、極端な飢餓環境に移行しつつある。
まさに、幾千年後の異国の池で食料危機に瀕した時である。
「ソウギョが、水面に落下した、新鮮なクヌギの雄花を食べていた」珍しい本件観察事例(前述の第2項)を水平展開し、
クヌギと同様に、多数の雄花が集合し1本になり、数本が房となり、垂れ下がる形の雄花序を形成するブナ科の
樹木を見渡せば、ミズナラ・アベマキ・カシワ・ナラガシワ・シラカシ・アラカシ・アカガシ・ツクバネガシ・ウラジロガシ・イチイガシ
等があり(※06)、他科にも雄花序を形成するカバノキ科やヤナギ科の樹木が確認できる。
観察事例は、中国大陸の特定条件下で、風媒花(クヌギ・他)から落下した雄花を食べていたソウギョの(DNAに刻まれた)
記憶が、救荒食品のひとつとして、本能的にフラッシュバックした行動と推定され、行動のトリガーとなった特定条件は、
「前夜半から強風の続く初夏の日」と示唆される。
飢餓環境のソウギョは、水中に現に存在するものに留まらず、水面に飛来・落下するもの(クヌギの雄花序)、池底の地中から生えてくるもの(生えようとしているもの fig.04)
全てを対象に、植物性餌料を漁っていることが明らかになった。
ソウギョが立ち泳ぎ姿勢で水面から伸び上がり、頭部を出し、水上にオーバーハングする植物を食む姿さえ、やがて観察・撮影されるであろう。
【謝辞】
★「ソウギョが、水面に落下した、新鮮なクヌギの雄花を食べていた」観察事例を報告頂き、写真3点の転載も快諾くださった、つかじーさんに感謝します。
★釣獲したソウギョの写真転載を快諾された、Basser Tack さんに感謝します。
【参考文献】よしさん架蔵書
(※01)よしさん(1996〜2011):「雄蛇ケ池」『ザ・レイクチャンプ』http://lake-champ.com
(※02)つかじー(2006):ソウギョ放流について『雄蛇ケ池バスフィッシングガイド』http://ojyagaike.web.infoseek.co.jp/index.html
(※03)つかじー(2007):縮小する葦原(2007.5)『雄蛇ケ池バスフィッシングガイド』http://ojyagaike.web.infoseek.co.jp/index.html
(※04)つかじー(2008):衰退する蓮群落(2008.6)『雄蛇ケ池バスフィッシングガイド』http://ojyagaike.web.infoseek.co.jp/index.html
(※05)よしさん(2006〜2010):「ふ化放流ノート」『亀山湖牛久沼ワカサギ情報』http://wakasagi.jpn.org/
(※06)池田健蔵・遠藤 博(1997):「クヌギ」『原色新樹木検索図鑑』離弁花編,第2部14pp,初版,北隆館(東京),\4800+税
(※07)新村 出(1979):「くぬぎ」『広辞苑』第二版補訂版第四刷,638pp,岩波書店(東京),\4800,
(※08)君津市史自然編編纂委員会(1996):「クヌギ」『君津市史 自然編』,186pp,君津市,
(※09)原著:越谷吾山,校訂:東條 操(1978):「どんぐり」『片言 物類称呼 浪花聞事 丹波通辞』,覆刻日本古典全集,
物類称呼の部八九pp,現代思潮社(東京),原本は1775(安永乙未04)年正月刊記
(※10)原著:越谷吾山,校訂:東條 操(2011):「どんぐり」『物類称呼』岩波文庫30-269-1第5刷,,104pp,岩波書店(東京),\540+,税
原本は1775(安永乙未04)年正月刊記
(※11)編纂:寺島良安(1929):「どんぐり・くぬき」『和漢三才図会』影印復刻版,1235-1236pp,日本随筆大成刊行会(東京市),,
序:藤原信篤 正徳03年(1713年),跋:清原宣通 正徳癸巳(1713年),版元:岡田三郎右衛門ほかを底本とする
(※12)源 順(1648,慶安戊子元年):「木ノ類」『倭名類聚鈔』和本,校訂:那波道円,渋川清右衛門(大坂)版,
1617(元和丁巳03)年題,青表紙全20巻5冊本を合冊,
(※13)原著:深江輔仁 編纂:与謝野寛・正宗敦夫・与謝野晶子(1928):『本草和名』影印復刻版,下巻,ページ付なし,日本古典全集刊行会(東京府北豊島郡),,
大槻文彦蔵1796(寛政8)年版の森枳園父子書入れ本を底本とする
(※14)原著:李 時珍(1653,承応癸巳02年):「香木類」『本草綱目』和本,木部第三十四巻四十四丁表裏,武林錢衛蔵版,
外題:新刻本草綱目,見返し:重訂本草綱目,
(※15)三宅意菴(1836,天保丙申7年):「血症門」『衆方規矩』和本,巻下百二十五丁裏〜百二十六丁表,堺屋定七ほか版,
表見返し題:医療衆方規矩大成,目録題:医療衆方規矩,序:三宅意菴1799(寛政11)年,元板衆方規矩大成享保年中刻成
(※16)原著:李 時珍,監修校註:白井光太郎,訳:鈴木眞海(1930):「草魚」『頭註国訳本草綱目』第十冊,457-458pp,春陽堂(東京市),非売品,
本文は1637,寛永丁丑14年和刻本(京都)・図画は1653,承応癸巳02年和刻本(野田弥次右衞門版)を底本とする
(※17)談:赤地虎雄,編:農文協(1990):「名産、佐倉炭を焼き続ける」『聞き書きによる江戸からの贈り物 江戸時代人づくり風土記 しおり12千葉』,
2-3pp,農文協(東京),本編に挟み込み附録
本編は、監修:牧野 昇他,編纂:加藤秀俊他(1990):『江戸時代人づくり風土記12千葉』第1刷,396pp,農山漁村文化協会(東京),\4500,
【注】
『和漢三才図会』(※11)及び『頭註国訳本草綱目』(※16)から本稿への、写真複製・有線送信・本HP掲載公表(fig.07・fig.08)は、
「ベルヌ条約」及び「万国著作権条約」並びに国内法「著作権法」を踏まえた合法行為です
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