古典籍で味わう雄蛇ケ池のハンゲショウ(三白草) The Saururus chinensis of the onjyaga-ike pond, to taste in old classical books. | ||||||
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趙 学敏は、「瀕湖(時珍)は、この草は八月苗が生え、四月にその頂部の三葉の表面の白いのが三たび青く変じ、三たび白く変ずるが、
他の葉は相変らず青色だ。故に葉の初めて白くなった時は小麦が食へ、再び白くなった時は梅、杏が食へ、
三たび白くなった時は黍子(しょし)が食へるとしてあるが、これで見るとまだ親しく三白の形色を実見してゐなかったやうである。
」と、李 時珍の「三白草」の生態的記述に疑問を呈する。 この部分に疑問を呈することは至極当然の指摘で、「8月に苗が生え、4月に三葉の表面が3回色変わりする」は、 『本草綱目』(※03)の誤りのひとつである。 また、「葉の初めて白くなった時は小麦が食へ・・」は、名の由来に現代でも誤引用されることの多い箇所である。 趙 学敏は、盧氏の説「三月苗が生え、葉は薯葉のやうで対生し、小暑の後に茎端に発する葉が純白で粉のやう、背面も同様だが、初は小さくして 漸次に大きくなり・・」を引くが「この言によればこの草は時節に応じて白葉の三弁を生ずるのであって、ある時期になって 青葉が白に転ずるのではなく、李氏の説とははるかに異つてゐる。」と、趙 学敏自身も(観察経験がないようで)半信半疑の 及び腰で記述し、盧氏の説の正誤を検していない。
趙 学敏はまた、「常中丞筆記」から、「現にその草の実物に就いて見るに、長さは二三尺、葉は白楊に似て下が円く上が
尖り、一本にして数節あり、節毎にいづれも葉が生え、その数は三葉だけに止まらず、やはり全部が白く変じて了ふのでもなく、
ただ最上の数葉だけが生えた当時蒂(てい)に近い部分から白くなり、次には葉の中部が再び白くなり、最後に葉の尖(さき)まで
通じて白くなる。蓋し一葉が三たび白くなるので、白葉が三枚出るのではない。」を引き、
「これはその説明が盧氏の説とも異つてゐる。因っていづれもこれを存して置く。」と述べている。
趙 学敏は後段で、「三白草」と「翻白草」(ほんはくそう)は、時珍の云うように別の2種ではなく、同一種であるとも断じているが、
その真偽は次項『薬艸綱領』で述べる。
次に、比較的に最近の文献として、『薬艸綱領』を取上げる。 fig.07 よしさん架蔵『薬艸綱領』の「三白草」及び「翻白草」部分
「三白草」に、「はんげしゃう」と読み(和名)が振られ、「かたしろぐさ」の地方名と「翻白草」の異名が添えられ(fig.07)、
続いて「産地」・「形態」・「薬用」・「味」・「効能」・「用法」が記述され、精密な形態図が掲載される。
【02 現地調査】 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
fig.08 上部 (撮影:2012年05月17日) |
fig.09 上部 (撮影:2012年07月15日) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
fig.10 全草の状態 (撮影:2012年05月17日) |
fig.11 全草の状態 (撮影:2012年07月15日) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
fig.12 自生地の状況 (撮影:2012年05月17日) |
fig.13 自生地の状況 (撮影:2012年07月15日) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
fig.14 全草の状態 (撮影:2012年07月15日) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
【三白草・カタシロクサ・ハンゲショウ漢名和名千年史】 古典籍に示された、三白草・カタシロクサ・ハンゲショウの名称を、出典を付して時系列に 一覧できるよう集計した「三白草・カタシロクサ・ハンゲショウ漢名和名千年史」を表01に示す(table.01)。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
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『本草和名』(※01)に深江輔仁が「蘇敬注」を引いたことは既に述べたが、それは同時に、唐本『新修本草』(659年成立、蘇敬撰)
を取寄せ、手元に置いて読んだことを意味する。 『本草和名』(※01)の成立は、平安時代892〜927年とされる(同書解題)から、「三白草」の名は唐では659年以前より定着 しており、「加多之呂久佐」の名は日本では892〜927年以前より定着していたと見てよかろう。 また、「三白草」の名は唐から宋→元→明→清へと、幾多の国の興亡を経ても変化せず、続いていたものと思われる。 一方、日本では、平安時代892〜927年以前の名・「加多之呂久佐」が「カタシロクサ」「カタシロ」「かたしろくさ」「加太之呂久佐」と表記こそ多様になったものの、 現代まで残る、と共に、1709年に「半夏生草」が現れ(大和本草)、「半夏草」「はんげしゃう」と、こちらも現代まで続くことが 「三白草・カタシロクサ・ハンゲショウ漢名和名千年史」(table.01)から明確になった。 「カタシロクサ」の現代風漢字は、「葉の片面が白くなる」との由来から「片白草」と、 また「ハンゲショウ」の現代風漢字は、『大和本草』(※04)の「半夏生草」を語源とし「半夏生」と、其々表記するのが 正統と考えられ、「ハンゲショウ」を「半分化粧をしているように見える」ので「半化粧」とする俗説は邪道である。
絶滅のおそれのある野生生物の種のリスト(一覧表)は、レッドリストと呼ばれる。
【参考文献(よしさん架蔵書)】
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