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ワカサギふ化放流ノート
ヤブミョウガ・杜若・アオノクマタケラン考察
The Pollia japonica, Alpinia intermedia consideration.
fig.00 雄蛇ケ池のヤブミョウガ群落
fig.00 雄蛇ケ池のヤブミョウガ群落(馬捨場)

【ヤブミョウガ・杜若・アオノクマタケラン考察】
雄蛇ケ池(千葉県東金市)は、1614(慶長19)年に完成した、大規模な灌漑用溜池である(※09)。
雄蛇ケ池に自生するヤブミョウガ(藪茗荷)を含め、別名を持つ草木は多く、 学名 Pollia japonica thunb. は、ツユクサ科の多年草の一種で、和名はヤブミョウガとされている(fig.00・※08)。
しかし、ヤブミョウガの和名を古典籍に遡ると、別名・杜若が代表的な呼称であった可能性が高いことに行き着く(後述)。
しかも、その別名・杜若が、中っていないと指摘する説があり(後述)、 杜若の名称を基とし、古く中国大陸の明・唐・漢の時代にまでヤブミョウガの語源・由来を追う時、別種と混同する恐れがある。

本稿では先ず、最近の資料から古い資料へと遡って、国内及び国外文献調査を実施する。
具体的には、よしさん架蔵古典籍等を引き、Pollia japonica thunb. の古名と、その古名をあてた和訳者名・引用資料名等 古名の使われはじめた起源・年代を再確認し、古名が Pollia japonica thunb. を示すものであるかを検証し、 文献其々の記述の粗密・精度・正誤を味わう。

次に、2012年08月及び10月の現地調査に基づく、雄蛇ケ池におけるヤブミョウガの生態を紹介する。

最後に、ヤブミョウガ及びアオノクマタケランのレッドリストを作成提示し、人知れず自生する無名な植物の 危機的状況を紹介する。

【01 文献調査】
信頼のおける、比較的に最近の文献として、1967(昭和42)年初版『学生版 牧野日本植物図鑑』があり、よしさんは1988(昭和63)年24版を架蔵する(※08)。
『学生版 牧野日本植物図鑑』は小型ながら、大冊の『牧野日本植物図鑑』を継承する牧野富太郎博士の著書で、 326ページの1870「やぶみょうが」部分に、和名・学名・科名を挙げ、詳細な説明と共に精密で美麗な図版が示される。
名称については「やぶみょうが」以外の和名はなく、「やぶみょうが」に相当する漢名も挙げていない。

『図説植物辞典』(著:村越三千男)は、1937(昭和12)年初版、よしさん架蔵の第7版は1943(昭和18)年 である(※07)。
328〜329ページの「ヤブミョウガ」部分に、和名・学名・科名を挙げ、分布は本州各部・九州・琉球・台湾とし、 詳細な図版が示されるが花の拡大図及び果実並びに根の図はない(fig.01)。
和名は「ヤブミョウガ」以外に一名「みょうがそう」とあるが、「ヤブミョウガ」に相当する漢名は挙げていない。
美しい図版を以下に示す(fig.01)。

fig.01 よしさん架蔵『図説植物辞典』の「ヤブミョウガ」部分
fig.01 よしさん架蔵『図説植物辞典』の「ヤブミョウガ」部分

更に、同時代の文献として、1点『薬艸綱領』を取上げる。
『薬艸綱領』は、大和室生村(現・奈良県宇陀市室生)の松井安次郎が著し、牧野富太郎博士の校訂及び序、木村彦右衛門博士の序 により、1932(昭和07)年刊行され、よしさんは1935(昭和10)年第2版を架蔵する(※06)。
『薬艸綱領』127ページの「杜若」部分を以下に示す(fig.02)。

fig.02 よしさん架蔵『薬艸綱領』の「杜若」部分
fig.02 よしさん架蔵『薬艸綱領』の「杜若」部分

漢名「杜若」に、「はなめうが」と読み(和名)が振られ、めうが科の名を挙げ、「伊豆縮沙」の地方名と「杜蓮」・「山薑」の異名が添えられ(fig.02)、 続いて「産地」・「薬用」・「効能」・「用法」が記述され、形態図が掲載される。
「産地」の「暖地ノ山中樹下ニ自生スル多年生草本ナリ」は「ヤブミョウガ」として妥当だが、「紅條アル白色花ヲ穂状ニ開ク」や「果実ハ楕円形ノ赤色ヲ帯ビ」は 「ヤブミョウガ」とは別の、ショウガ科ハナミョウガ属ハナミョウガ(花茗荷) Alpinia japonica の特徴を的確に記述しており、 形態図もハナミョウガが描かれている。
従って、『薬艸綱領』の漢名「杜若」は、ハナミョウガ Alpinia japonica に関する項目であり、「ヤブミョウガ」は論じていない。
松井安次郎は、『薬艸綱領』凡例の付記に「漢名ハ主トシテ小野蘭山ノ書ニヨリタル・・」と記し、漢方薬・本草系統の書物として『薬艸綱領』 を著述した背景を踏まえ項目名を見ると、はじめに漢名ありきとし、次にその漢名に相当する本邦の植物を充てた構成が解かる。
小野蘭山ノ書とは『本草綱目啓蒙』と推察され、『本草綱目啓蒙』は李時珍の『本草綱目』の解説書というべき書物であることから、 結果的に『本草綱目』に出る漢名「杜若」・別名「杜蓮」「山薑」を項目名とし、「杜若」をハナミョウガ Alpinia japonica と 取り違えて解説している。
漢名「杜若」の学名には、触れられていない。

『頭註国訳本草綱目』第4冊は、鈴木眞海が訳し、白井光太郎博士の監修・校註、 牧野富太郎博士・他の考定により、1930(昭和05)年に刊行された(※05)。
『頭註国訳本草綱目』第4冊466〜469ページの「杜若」部分を以下に示す(fig.03)。

fig.03 よしさん架蔵『頭註国訳本草綱目』の「杜若」部分
fig.03 よしさん架蔵『頭註国訳本草綱目』の「杜若」部分

「杜若」(本經上品)は、和名・あをのくまたけらん、学名・ Alpinia chinensis, Rosc. 、科名・しやうが科(薑科) とされ、頭註に牧野富太郎博士は「牧野云フ、我邦ニテ杜若ヲ かきつばた(あやめ科)ニ充テシハ 大ナル誤デアツタ。 又之レヲ やぶめうが(つゆくさ科)ニ充テタノモ固ヨリ中ツテ居ナイ、又はなめうが即チ Alpinia japonica, Miq. トスルモ穏當 デハナイ」と述べている(fig.03)。
『頭註国訳本草綱目』は、漢文体で記述された『本草綱目』を和訳したもので、巻頭の第4冊例に「薬名標目下の和名・学名・科名の考定は牧野富太郎博士 が担当執筆されたものである」、「和名・学名・科・属の東西学説異同に関する考証に就ては、白井・牧野両博士いづれも 署名して鼇頭に執筆された。」と訳者鈴木眞海は記している。
『本草綱目』の「杜若」は、本邦において永らく、カキツバタ(アヤメ科)・ヤブミョウガ(ツユクサ科)・ハナミョウガ(ショウガ科) と取り違えられてきたが、1930(昭和05)年の『頭註国訳本草綱目』に至って、アオノクマタケラン(ショウガ科) Alpinia chinensis, Rosc. であると牧野富太郎博士によって考定され、同時に白井光太郎博士の考証を得たのである(青の熊竹蘭, 現在の学名は Alpinia intermedia Gagnep. )。

よって、すくなくとも、1930(昭和05)年の『頭註国訳本草綱目』以前の文献・資料中に「杜若」を見出す時、そこに表現された「杜若」は 本邦において現在言うところのアオノクマタケラン(ショウガ科)を指すことに特別の注意を要する。
「杜若」はアオノクマタケラン(ショウガ科)であることを踏まえ、更にいくつかの古典籍を眺めてみよう。

『大和本草』(原著:貝原篤信)の成立・刊行は、1709(宝永06)年とされる。
『大和本草』宝永刊本を、よしさんは蔵していないから、本稿では 中村学園の公開するオンライン版の巻之八(草之四)芳草類22丁表裏の「杜若」部分を見る(※04)が、 著作権制約により画像は掲載できないので、了解されたい。
「杜若」の項に「ヤブミヤウカト云 葉ハ生薑ニ似テヒロシ ヤフノ内陰地ニ生ス楚詞ニ出タリ  根ハ良薑ニ似テ小ナリ(中略)我(カ)国俗(ニ)杜若ノ根ヲ良薑トシ子(ミ)ヲ砂仁トス伊豆宿砂ト云アヤマレリ  又国俗(ニ)アヤマリテ杜若ヲカキツハタトヨム。 カキツハタハ燕子花ナルベシ 杜若 ニハアラズ(後略)」と、出る。

現物・現場重視の貝原篤信(益軒)も、どうしたことか「杜若」を「ヤブミヤウカ」と取り違えている。
しかし、「杜若」は「カキツハタ」ではないと指摘もしている。

『本草綱目』(原著:李 時珍)の成立は、1578(明の万暦06)年、南京における初版上梓は1596(明の万暦23)年 と見られる。
1637(寛永14)年本の後刷・1653(承応癸巳02)年刊本(全52巻・※03)の (草部十四巻)芳草類二丁裏の「杜若」図(fig.04)及び三十七丁表〜三十八丁表の「杜若」部分を以下に示す(fig.05)。

fig.04 よしさん架蔵『本草綱目』の「杜若」図
fig.04 よしさん架蔵『本草綱目』の「杜若」図

fig.05 よしさん架蔵『本草綱目』の「杜若」部分
fig.05 よしさん架蔵『本草綱目』の「杜若」部分

「杜若」の出典に本經二品を引き、釈名・集解・修治・気味・主治・発明が述べられている。
本經二品とは『神農本草經』巻二の上品を指し、『神農本草經』巻二の上品に「杜若」の原文 「杜若,味辛,微温。主・・」のあることを示す。

『本草綱目』の釈名に、いくつもの別名を採ることから、『神農本草經』の時代(500年頃以前)から明(1578年)以前の 中国大陸において、「杜若」(和名アオノクマタケラン)が自生し、年代毎に或は地域(国)毎に呼称が相違していたものと思える。

『倭名類聚鈔』(原著:源 順)の成立は、927年と見られる。
1617(元和丁巳03)年題・1648(慶安戊子元)年刊本(20巻5冊本・※02)の 巻之廿、十九丁表の「杜■」部分を以下に示す(fig.06)。

fig.06 よしさん架蔵『倭名類聚鈔』の「杜■」部分
fig.06 よしさん架蔵『倭名類聚鈔』の「杜■」部分

「杜■」に、フタマカミと読みが振られ、「蘇敬ガ本草注ニ云 杜蘇一名ハ 馬蹄香 和名布太未賀三」とある(fig.06)。
『倭名類聚鈔』(原著:源 順)(※02)の序(一丁裏)に「大医博士深江輔仁奉テ 勅ヲ撰集シ 新鈔倭名本草ヲ・・」と見え、源 順は『本草和名』(原著:深江輔仁)(※01)を参照したことが知れる。

『本草和名』(原著:深江輔仁)の成立は、平安時代初期の892〜927年の間と見られる。
和気廣世(ワケノヒロヨ)の『薬經太素』(ヤクキョウタイソ・全2巻)に次ぐ、国内第2の薬物書が『本草和名』で、 1796(寛政08)年刊本(大槻文彦蔵)に、森枳園父子書入れ本を底本とする、日本古典全集刊行会の影印復刻版(※01) 第七巻 草上(之下)三十八種の「杜若」部分を以下に示す(fig.07)。

fig.07 よしさん架蔵『本草和名』の「杜若」部分
fig.07 よしさん架蔵『本草和名』の「杜若」部分

「杜若」の次の項「■(虫編+也)床子」(和名ヒルムシロ)に「出蘇敬注」と見える(fig.07)。
「蘇敬注」とは、唐の勅撰本草書である『新修本草』(659年成立、蘇敬撰)の記載事項の引用を表し、 日本に産するものには、深江輔仁が和名をあてたが、唐名「杜若」に和名の引き当てはなされていない。
平安時代初期(892〜927年の間)以前も、「杜若」(和名アオノクマタケラン)は日本に分布していた であろうが、深江輔仁をしても、「杜若」を「アオノクマタケラン」と同定し得なかった主因は、 正確な植物図を参照できないこと(又は存在しなかったこと)、及び世界共通名称(学名)制度が存在しなかったこと にあると考えられ、唐本の記述のみを頼りとした研究環境に同情する。

【02 現地調査】
雄蛇ケ池(千葉県東金市)に、自生するヤブミョウガの様子は、以下の通りである。

fig.08 全草の状態
fig.08 全草の状態
(撮影:2012年08月24日 馬捨場)
fig.09 立面
fig.09 立面
(撮影:2012年08月24日 馬捨場)
fig.10 花の状態
fig.10 花の状態
(撮影:2012年08月24日 馬捨場)
fig.11 花と果実の状態
fig.11 花と果実の状態
(撮影:2012年08月24日)
fig.12 自生地の状況
fig.12 自生地の状況
(撮影:2012年10月02日 小谷津)
fig.13 果実の状態
fig.13 果実の状態
(撮影:2012年10月02日 小谷津)
fig.14 果実の状態
fig.14 果実の状態
(撮影:2012年10月06日)
fig.15 種子の状況
fig.15 種子の状況
(撮影:2012年10月06日)
fig.16 種子顕微鏡写真
fig.16 種子顕微鏡写真
(撮影:2012年10月06日)
fig.17 種子顕微鏡写真
fig.17 種子顕微鏡写真
(撮影:2012年10月06日)
結局、ヤブミョウガ Pollia japonica Thunb. と確認できる古い文献は近現代のものに限られ、近世以前の本邦及び中国大陸の 古典籍には、よしさんの調査した範囲においてヤブミョウガは登場しないようだ。
アオノクマタケラン Alpinia intermedia Gagnep. (漢名杜若)は、国内分布の大勢及び温暖化傾向から、将来伊豆・房総エリア で発見される可能性もあろう。
牧野富太郎博士の著書『学生版 牧野日本植物図鑑』(※08)326ページの1870「やぶみょうが」 部分を引用し、ヤブミョウガのまとめとする。

やぶみょうが Pollia japonica Thunb. [つゆくさ科]
中部以南の林ややぶにはえる多年草。根茎は白色で横にはう。茎は直立し高さは50〜70cm。 葉は互生し、表面は暗緑色、裏面は淡色。夏に茎の先から細い花柄を直立し、頂に5〜6層をした 白色の小花を円錐花序につける。外花被片は丸く肥厚し、内花被片の質は薄い。おしべ6。


日本・台湾・朝鮮・中国南部の樹下の湿った場所に生え、雄蛇ケ池(千葉県東金市)では海抜17〜20m附近に自生する。
球形果実ははじめ白緑色(fig.11)、のち青黒色となり、直径は5〜7mmである(fig.13-15)。
果実の皮は薄く、中は3区画に分割され、それぞれの区画に不定形で1〜2mmの種子が組み合わされ密着するように 収納され、観察事例における種子の合計は19ケであった(fig.15)。
種子の表裏面は凹凸があり、全面に微細な半球状突起がある(fig.16-17)、と補足しておく。
【ヤブミョウガ・アオノクマタケラン レッドリスト】
絶滅のおそれのある野生生物の種のリスト(一覧表)は、レッドリストと呼ばれる。
ヤブミョウガ及び脱線ついでにアオノクマタケランのレッドリストを表01に示す(table.01)。
  ヤブミョウガ アオノクマタケラン
環境省カテゴリ なし なし
絶滅危惧T類 秋田・山形・宮城 徳島・愛媛
絶滅危惧U類 新潟・石川 和歌山・佐賀・熊本
分布重要 鹿児島 なし
準絶滅危惧 なし 大分
table.01「ヤブミョウガ・アオノクマタケラン レッドリスト」
【参考文献(よしさん架蔵書)】
(※01)原著:深江輔仁,編纂:正宗敦夫(1928):「杜若」『本草和名』上巻,第七巻草上(之下)三十八種,影印復刻版,再版,日本古典全集刊行会(東京府北豊島郡),非売品
(※02)原著:源 順,校訂:那波道円(1648,慶安戊子元年):「杜■」『倭名類聚鈔』和本,巻之廿,十九丁表,渋川清右衛門,外題:和名類聚鈔,
(※03)原著:李 時珍(1653,承応癸巳02年):「杜若」『本草綱目』和本,草部十四巻,武林錢衛蔵版,外題:新刻本草綱目,見返し:重訂本草綱目,
(※04)原著:貝原篤信(1709):「杜若」『大和本草』和本,卷之八(草之四)芳草類22丁表裏,http://www.lib.nakamura-u.ac.jp/kaibara/yama/pdf/y09.pdf
(※05)監修校註:白井光太郎,訳:鈴木眞海(1930):「杜若」『頭註国訳本草綱目』第4冊,466-469pp,春陽堂(東京市),非売品,
(※06)松井安次郎(1935):「杜若」『薬艸綱領』.2版,127pp,薬石新報社(大阪市),5円
(※07)村越三千男(1943):「ヤブミョウガ」『図説植物辞典』第7版,328-329pp,中文館書店,東京,\2円70銭.
(※08)牧野富太郎(1988):「やぶみょうが」『学生版牧野日本植物図鑑』24版,326pp,北隆館,東京,\1854.
(※09)よしさん(1996〜2012):雄蛇ケ池「ザ・レイクチャンプ」http://lake-champ.com

【注】
『本草和名』(※01)、『倭名類聚鈔』(※02)、『本草綱目』(※03)、『頭註国訳本草綱目』(※05)、『薬艸綱領』(※06)、 『図説植物辞典』(※07)から本稿への、写真複製・有線送信・本HP掲載公表(fig.01-fig.07)は、 「ベルヌ条約」及び「万国著作権条約」並びに国内法「著作権法」を踏まえた合法行為です

現地撮影:2012年08月24日(金),2012年10月02日(火) 種子顕微鏡撮影:2012年10月06日(土)
発表:2012年10月25日(木)前・牛久沼漁業協同組合顧問よしさん
「ザ・レイクチャンプ」シークレット・ポイント0001 雄蛇ケ池

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